地方公務員の日常

時間はあるが、夢がない。苦悩の日々の記録。

飯を食っていくということ

綺麗事はいらない。飯を食っていかなくてはならない。

 

ネットが発達していなかった時代の常識を「義務教育」で叩き込まれている20代30代。

 

その常識を指針として生活を確立させてしまうと取り返しがつかないことになる。

 

ネットでも何でもいい。

小さな商いから、「稼ぐ」ということを学ぶ必要がある。

 

「労働力を提供する人」から、「商いをする人」へ。

 

付加価値をつけて、世の中に出す。

 

こんなにもシンプルなのに、こんなにも馴染みがない。

 

全く知らないで、ここまで来てしまった。

 

税金のこと、お金のこと。

 

すげえ大事なのに、学校で教えてくれない。でも、それで世の中が成り立ってる。

 

就職するのが当たり前。仕事とは会社で働くこと。

 

サラリーマン家庭で育った自分からしたら、当たり前すぎて疑うこともなかった。

 

幸か不幸か、ネットがあり、正しい情報が手に入る状況。

 

子供の頃から持っていた疑問が少しずつ解消されていく。

 

ある種の洗脳から、目を覚ましつつある。幸か不幸か。

 

であるならば、今こそ、商いの仕組みを知り、

 

小さく始めて、チャレンジの数をとにかく増やす。弾打ちゃ当たる、だ。

 

1日1万円を稼げるようになるには。どうしたらいいのか。

 

いや、1日1000円でも立派なこと。どうしたらいいのか。

 

ただ楽しいだけではだめだし、頑張るだけでもだめ。

 

努力など存在しない。目の前のことが楽しくてしょうがないという状態があるだけである。

 

という言葉が好きだ。

 

1日1万円稼ぐことができるスキルを持ち合わせた状態を楽しむことはできないか。

 

楽しまなくては、続かないから。

 

持続可能な生活、持続可能なスキル、持続可能なパートナー。

 

全部楽しむことから始まる。

 

楽しくないこと、苦手なことは一切やらない。会いたくない人とも会わない。

 

これからの時間を使っていく上で、重要な考え方。

 

楽しいこと、好きな人とだけ関わっていればいい。

 

目の前のことを楽しむこと。それを世の中に提供する変換力が求められている。

 

公務員なので副業はできないけれど、辞める準備はしておきます。

 

就活で失った自尊心を取り戻したい

何十人と東大合格者を輩出するような都立の中高一貫校で、テストの点数は下から数えた方が早い。そんな学生時代だった。

 

勉強で存在感を示せなかった私は、サッカーに自らの存在意義を見出した。

 

月曜日以外は全て部活に汗を流す日々。

 

チームメイトや監督から求められることが、私の存在意義だった。

 

でも、サッカーを引退したら自分に何が残るのかとモヤモヤとしていたのを鮮明に覚えている。

 

実際に引退し、浪人生活、大学生活、社会人生活と

 

サッカー以外の「何か」を探して、がむしゃらに約10年が経った。

 

いまだに「何か」は見つからない。

 

10年という月日の中で、自分ができないことばかりに目を向けて、できるようになるにはどうしたら良いのか試行錯誤して、

 

高校時代とは比べ物にならないくらい、自分よりすごい人がうじゃうじゃいる現実に頭が真っ白になった。

 

「自分には何もない。」

 

就活の自己分析で、この感覚が私の精神を蝕んだ。奥深くまで染み込んでいった。

 

そして、世界が色を失っていった。

 

大人しく周囲が喜ぶ存在で居続ければいい。私にできることはそれだけ。

 

そう思い込んで、自らの感性や感覚を殺した。

 

自らが感じることが信じられなくなった。楽しいと感じることがなくなった。

 

でも本当に俺には何もないのか。

 

確かに同級生のあいつよりはトークが下手だったり、知人が少なかったり、劣るところはいくらでもある。

 

でもさ、できることも少しはあるんじゃないの。

 

あいつにできなくて、俺にできそうなこと。

 

できないことをできるようになろうと頑張るのはもういいから、

 

できることに目を向けて、挑戦を続ける。それしかできない。

 

過去の「できたこと」に目を向けてみようと、

 

こう思うのも548回目なんだけれど。

 

 

愛がなんだ

久しぶりに映画を見ました。

 

好きのベクトルが行き違うのは、よくある話。

 

好きになって振られたことも、好きになってくれた人を振ったこともあるので

 

双方の立場に共感できました。

 

どうしようもなく寂しい時は、異性ではなく同性の友達に連絡しよう。

 

20台後半だからこそ、「好きです。付き合ってください。」が必要かもしれない。

週末について

土曜日に体力を回復させ、日曜日にゆっくりすると夕日が差し込み始め

 

慌ててランニングへ。

 

帰り道にスーパーへ寄り、不足する食材などを買い足す。

 

月曜日からやることをイメージしながら、心を落ち着かせて、十分な睡眠をとる。

 

目を覚ませば、忙しない月曜日がやってくる。また1週間がんばろう。

 

これをリピート再生。エンドレスリピート。(厳密にはエンドレスではないが、70歳までは多分これを繰り返すことになるんだろう)

 

気が狂わない方が不思議なくらい。

先のしれた未来をモヤモヤしながら、待っている。

 

先日、「2ヶ月後に死ぬなら、何がしたいか」というテーマで、やりたいことを紙に書き出したのだが、

 

あまり筆が進まないことに我ながら驚いてしまった。

 

やりたいことがないと生きづらい。なんか窮屈な世の中。

 

非効率で、無意味な労働に時間を消費している焦りと、

 

じわじわ取り返しのつかない環境へ突っ込んでいっている恐怖。

 

自分、何がしたいんだっけ。何してる時が楽しいんだっけ。

 

もうすぐ28歳。

 

焦っても仕方がないのだけれど、結婚もしなければならないし、孫の顔を両親に見せなくてはならない。

 

子供を作れば、親からのプレッシャーや束縛から逃れられるだろうか。

 

友達も日本にはいないし、5年間付き合った彼女も1ヶ月ほど連絡なし。

 

人との交流を避けていたら幸せから遠のくんだろうけど、やっぱり人が苦手だ。

 

この濃霧の中、目の前のやるべきことをやっているだけでいいのか?

 

5年後、10年後をイメージできてるか?

 

イメージしていたら、この仕事は続けられない。

 

 

険しい。

 

誰も信じられない。孤独。

 

仕事について思うこと

こんばんわ。

 

 

市役所の仕事、基本的にはラクだと思います。やはり。

 

だって営業しなくても、頑張らなくても毎年お金が入ってくるんだもん。

 

ぼーっとしていても、毎年大体同じ金額の予算が組まれ、それを上手いこと使い切る人が評価される。

 

表向きには最小限のコストで最大限の効果を〜なんて謳っていますが、現実は違う。

 

コスト意識持っていても、翌年度の予算を減らされるだけなので、基本損しかしない。

 

あとは、デジタル化の件。

 

AIだ何だっていう前に、機械化をした方がいいのでは?と思ってる。

 

封入作業を手作業でやらせて、封入ミス発生、訪問謝罪。みたいなことを平気でやっている。

 

封入作業なんて人間に手作業でやらせるものじゃないだろと思う。

 

ちなみに、私はデスクのアラビックヤマトとハサミは大活躍している。

 

どうやらデジタル化はまだまだ遠い未来の話みたいです。

 

超アナログ環境のなかで忙しいふりをして過ごしていたい人にはおすすめの職場だと思います。

 

正直、こんな感じだけど、面白さは見出せます。

 

日々新たな発見があるので、つまらんってことは全然ないけど、

 

外の環境から断絶された共産主義社会で生きている感覚があるので、

 

たまに電車乗ると、資本主義国家の住民が乗っている!という感覚になる。

 

それくらい閉ざされた空間、時の流れから断絶された空間です。

 

中には先進的な自治体もあるようなので、そういうところに入ればもっと面白い仕事ができるのではないでしょうか。

 

とりあえず、私は満員電車に乗る必要がなく、定時で帰れて、同僚で頭おかしい人がいないってだけで恵まれてるなと感じています。

 

現状に満足している自分を否定し続けてきたけど、最近はじわじわと諦めの境地に近づいている感覚があります。

 

「外を見渡してごらん。自分より不幸な人なんてたくさんいる。」

 

こんなことを思いながら、現状に満足している自分がいます。他人と比べても仕方ないのにね。

 

全然、思考がまとまらない。これだから夜に文章を書いてはいけない。

 

明日の朝、読み返して削除する可能性大ですが、

 

とりあえず、残しておきます。だめだこりゃ。