地方公務員の日常

時間はあるが、夢がない。苦悩の日々の記録。

結果と今後

先月の15日に受験した最終面接の結果が出ました。

 

結果は補欠合格。最終面接合格者は6名で、採用予定人数は4人です。

 

内定者4名の中で、内定辞退がなければ私は採用されません。採用される可能性としてはかなり低いと思われます。

 

思い返すと、今年の5月。うつ病のような症状が出て、体重が7キロ痩せました。これまでの人生でこんな状態になったことはなかったので、とても動揺し、何も手につかなくなってしまいました。

 

もちろん就職活動も全く手につかない状態でした。

 

そんな中、父親に半ば強引に提出を勧められて、応募した今回の職種。

 

全く興味がなかったわけではないですが、基本的には嫌々取り組んでいました。こんな気持ちでは当然早い段階で不合格になるものと思っていましたが、なんだかんだ今日まできました。

 

何も手につかない私に最後のチャンスを与えてくれた父親には感謝の気持ちしかありません。しかし、もうほとんど採用の可能性がなく、期待を裏切ってしまいました。

 

私は、今日に至るまで何も決断することができず、他人の言いなりになることでしか、心の平安を保てませんでした。今までの人生において、大きな決断は何もしてこなかったのが原因だと思います。

 

これ以上、両親を悲しませることはできないので、また一から就職活動を再開しなくてはなりません。

 

自分は、何をしたいのか。何を望んでいるのか。

 

全く見当がつきません。

 

もしかしたら、今まで通り、何も考えないで親の言いなりにやって、就職活動も乗り越えられていたかもしれない。今回の試験に受かってたら多分そういう状況です。

 

これまでの人生とこれからの人生において、私という存在はどこにあるのか。自分の人生の舵を取ることができていない。ここをいつも曖昧にして、あたかも自分の意志で決めているように見えて、実は責任から逃げてしまう自分がいます。

 

自分の人生の舵を取ると、あらゆることが自由になります。しかし、そこには責任が伴う。現代社会において、ほとんどのことが自己責任です。

 

新卒で民間企業に入るも、公務員になるも、フリーターになるも、全て自由。だけど、その後にどうなるかは全て自己責任です。

 

あらゆる選択肢がある中で、どの道に進むも自由。だが、その先でどのような結果があるかは全くわからない。運だ。

 

結局どうなるかわからないなら、もう流れに身を任せるしかないようにしか思えない。

 

「自らの強い意志で、自分の進んだ道を正しいものにする。」という人がいると思いますが、私はこれまでの自分の判断が間違ったものばかりで、疲れてしまいました。

 

もう疲れた。人生の目的がわからない。

 

生きているだけで幸せなら、もうそれでいいじゃないか。

 

結婚して、子供をつくって、人並みに親孝行して

 

それができたら幸せなんだろうけど

 

それが幸せである、というのも結局他人との比較でしかない

 

日本にいるからそれが追い求める幸せのカタチってだけで、例えば今のシリアで生を受けたら、明日暖かいパンを食べられるというだけでこの上なく幸せに感じるのだと思う。

 

そうやって周囲と比較して、自尊心を何とか保って。

 

社畜も引きこもりも、依存している対象が仕事か親かの違いであって、どちらも死ぬ瞬間に後悔は残ると思う。

 

結婚して、子供つくって、子供の成長が見れて、孫に出会えて、それで幸せ、はいおしまい。

 

そういうことですかね。

 

 

日付的には明日、最終面接

最終面接前に書いてる。

 

一行に集中できず、全く準備が進んでいないが、面接は決まった時間にやってきます。

 

二次試験の合格通知に、最終面接の面接時間は20分と書いてあるのだが、明らかに短い気がしてならない。

 

面接参考票という、「これらのことを質問するのであらかじめ考えてきてください。」的なものを渡されているのだが、そこには7つの質問が書いてあり、それらのことを聞くだけでいとも簡単に20分という時間は過ぎ去ってしまうのではないだろうか。

 

よくわからないが、職種の関係上、詳しいことはこれ以上書かないほうがよさそうである。

 

それにしても、日頃の昼夜逆転が完璧に機能していて、一ミリも眠くない。それどころか、集中力が最上級的に高まっている。

 

この様子だと、あと6時間は余裕で集中できそうだ。

 

合格後の絢爛な日々に思いを馳せながら、面接参考票に向かおうと思う。

 

 

本当の気持ちを言うと世界はどうなるか

右も左もわからぬまま

 

 

朝も夜もない生活を続けている

 

 

何も変わってない

 

 

自分と本気で向き合わないと

 

 

何も変わらない

 

 

死ぬまで何も変わらないかもしれない

 

 

今の自分に必要なことはなにか

 

 

よく考えてみたい

 

 

彼女との時間も大切にしたいけど

 

 

このままだと、また彼女の人生を生きることになってしまう

 

 

今の自分を素直に見つめて

 

 

現実から目を背けず

 

 

真剣に向き合えば

 

 

なにか自分のなかに変化が訪れるはず

 

 

何かが動き出しつつある感覚を

 

 

プラスに捉えて次に繋げたい

 

 

 

混沌

今日も何もできなかった。

 

悲しいを通り過ぎて呆れる。

 

完全に腐りきってる。

 

考え方から行動まで全てがぬるい。

 

甘えてる。

 

こんなことばかり書いていて、またネガティブ野郎とか言われそうだ。

 

やっていることは適当なくせに中途半端に真面目だから、

 

いちいち自分の行動を批判しだす。行動に自信が持てない。

 

衝動で動き出すこともできない。

 

恐れずに自らの心の中のコンパスの針に従っていく人を羨ましく思う。

 

いろいろな邪念がつきまとう。

 

昔の人はこういう邪念を振り払うために修行やら出家やらしたのかと思うと妙に納得できてしまう。

 

納得できてしまう自分が嫌だけど。

 

 

今日はある一人の女性に別れを告げた。ラインで。

 

この記事を自分の部屋の机で書くために、机を掃除していたら、この女性と過ごした日々の記録が出てきて、なんだか不思議な思いをした。

 

あれだけの時間を過ごした相手。

 

誕生日プレゼント、誕生日会、手紙、プレゼント。

 

本当に自分のことを好きになってくれた。今もいてくれていると思う。

 

こんなに家族以外の人に愛されたことはなかったので、とても別れはつらいものだった。

 

まぁラインでなんだけど。

 

完全に相手をバカにしている行為だと思う。

 

自分も高校時代にひどい対応をされて、ひどく傷ついたから痛みがすごくわかる。

 

本当に毎晩泣いた。

 

あれから4年ほど経って、自分がそういうことをするなんて思ってもみなかった。

 

でも、どうしたらいいかわからない。正解がわからない。

 

ひどいことをした。それだけは確か。

 

謝って済む話ではない。

 

でも、好きでもないのに一緒にいたわけではない。

 

多くの魅力を彼女に感じた。だから一緒にいた。

 

当時の自分の選択を間違いだったのか。

 

いいや、選択ではない。成り行きであった。

 

恋愛なんて両方ないし片方は必ず傷つくものなのかな。

 

恋愛のよさが再び分からなくなってしまいました。

 

その時々は楽しいし幸せを感じるけど、結局いつかは別れ話になって

 

どちらかが傷つくっていうのは、意味不明。

 

なんか売れないシンガーソングライターの歌詞みたいな内容になってるけど。

 

要は、高校時代の彼女は悪くなかったし、今回の俺も悪くない。

 

依存して、抜け出せなくなる人間が悪いのだ。(こういうことにしておかないと自分の今回の行動に説明がつかない)

 

じゃあ恋愛って冷めてた方が楽なのか。そんなの楽しくなくないか。

 

もうよくわからない。

 

とりあえず言えることは、どんなに傷ついても人はまた恋をする。

 

それだけはわかった。そがわかっただけでも希望は持てるのかな。

 

そうやってポジティブに考えないとまた怒られてしまう。(誰に)

 

まあいつかは冷めるんだよな。ほとんど。

 

割り切らないとやってらんねえ。

 

あゝ、咳が止まらない。

 

死にたくないなぁ。

 

 

九段下とフレンチと俺

 

あゝ

 

自制心が微塵もない!

 

結局毎日投稿することはできず、また三日坊主にすらならないという失態。何してんのおれ。

 

ってことで、再開しますが、まとまった時間を自分で設定してやらないと何も始まらない。

 

強制的に図書館でもなんでもいいけど、籠もる時間を設定してやらんとダメだ。

 

じゃあ、明日は2時から6時までやる。決めた。

 

そんで今日は、あの本見つけるまで寝れない設定。

 

まずどんな仕事が世の中にあるのか知らないことにははじまらない。

 

ただ今日感じた軸としては、やっぱり自分のなかでカッコイイって思える空間じゃないと働き続けられないと思った。

 

それは仕事の内容であり、環境であり、仲間であり、綺麗な場所でちゃんと仕事ができる。

 

一見すると外見的なことのようだけど、大事な気がする。グーグルだってアップルだってカッコイイじゃん。

 

そういう自分が好きになれる空間で多くの人の問題を解決できる仕事をできるっていうのが大切かも。

 

平和な国じゃないと必要のないもの。平和じゃなくなったら最初に切り捨てられるお仕事ってものに就きたいっていう感情は忘れてはいけないかもしれない。

 

結構重要な視点になってくるかもしれない。

 

うーん。やっぱりエンターテイメント業界かな。

 

楽しみを売る。笑顔にさせる、嫌なことを忘れさせる商売。

 

そんなものは戦争してる国にはない。平和だからこそ成り立っていると思う。

 

現状だと、レジャー・娯楽・エンターテインメント関係かなぁ。

 

メーカーも企画とか面白そうなのはあるしなぁ。

 

よし。明日、とりあえず嫌なものから消していこう。

 

今日やらなきゃいけないことは本を探し出すこと。

 

はい。以上。

 

今日はここまでです。

 

 

 

 

危なく日付が変わるところだった

危ない危ない。

 

今日は北海道旅行に行っていた妹が帰ってきた。羨ましい。

 

今日は熱が下がり比較的通常の生活ができた。

 

高校野球の決勝を見て、ノアの方舟の映画版を見て、プロ野球を見た。

 

野球大好きかよ。

 

この前見た百円の恋はめっちゃいい映画だった。

 

映画から教わることは多い。

 

明日も頑張りましょう。

就活開始

1年後の自分は内定をもらえているのであろうか。

 

そんな漠然とした不安の中で、本日は2015年8月19日です。

 

結局、ここを開設してからかなり間を空けてしまった。三日坊主にもなれないあたりがここ最近の生活を象徴しているようにも思う。

 

で、二、三ヶ月前から就活についてそろそろ考えなくてはならないなという焦燥感に駆られてはいたものの、これも悪い癖で後回し後回しにしてきた。

 

しかし、いよいよ始める必要性が出てきた。就活は自分が始めようと感じた時が始め時なのかもしれない。

 

先ほど、就活ファールというサイトで同い年くらいの学生が面接官に追い詰められている場面を見て率直に焦りを感じた。自分が同じ場所に立った時に何が話せるのか。きっと何も話せない。

 

このどうしようもない焦りに対してできることは何か考えた結果、ここで毎日の学びをアウトプットすることと、自分の将来について(分かるわけないけど)仕事について真剣に考えることだと思った。

 

自分の性格上、考えなきゃいけない状況に自分を追い込まなくてはダメだと思う。本を読む時間も幸運なことにたくさんある。

 

基礎知識がないと考えることもできないという言い訳のもと、何も考えてこなかったけど、そろそろ逃げてないで一冊でもいいから本読もうぜって感じ。

 

とりあえず、明日この時間に記事を書けるかが最初の関門。

 

風邪とか言い訳んすんなよ。

 

では、また明日。